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治療マニュアル VS ダイヤモンドの心を見つめる医療



精神医療において、今、様々な治療マニュアルの作成が試みられています。
治療マニュアルが出来れば、どのような医療者であっても、
ある一定水準以上の医療を行うことが出来ます。

しかし、治療マニュアルがあっても、うまくいかないことがあります。
それはなぜでしょうか。

そのひとつの理由に、治療マニュアルの生かし方があるように思います。

治療マニュアルを金科玉条のごとく捉えて、
あるひとつの治療マニュアルに全ての人を当てはめて、
治療を試みようとするのか。

それとも、治療マニュアルを
数学の世界で言うひとつの公式であると捉えるのか。
その場合、人にそれぞれ個性があるように、
摂食障害にも個性に応じた微妙な違いがあると考え、
人によって治療マニュアルをアレンジして、
人という応用問題に適応させていくのか。

一言に、治療マニュアルを生かすといっても、
その生かし方において、このような違いがあると思います。

一般的に、マニュアルといえば、
前者のように考えるのが普通だと思います。

しかし、前者の場合には、
あるひとつの治療マニュアルに全ての人を当てはめようとするために、
失敗する例を多く見ます。

私の知るところでは、摂食障害における行動制限療法で、
よくこの失敗例があります。

行動制限療法という治療法に、拒食症であれば、
どのような人であっても合わせようとするために、
治療から脱落したり、再発したりする人が多いのだと思います。

では、後者のように、
治療マニュアルを人に合わせてアレンジして使っていくのであればどうか。
ひとつの例をあげてみたいと思います。

拒食症の入院治療では、原則、運動を禁止します。
それは、生命的な危険から守るためであり、
過活動という病的な行動を止めるためで
あり、体重が回復するようにカロリーの消耗を避けるためであります。

しかし、本人の意志だけではそれがなかなか実践できないことが多いので、
行動制限をかけ、外出や外泊を禁止し、
病棟内のみで過ごしてもらうということがよくあります。

そんな中、きちんと食事をとり、運動もしていないのに、
体重の回復が止まり、増えなくなってしまうことがあります。
もちろん、隠れてご飯を捨てるなどの問題行動を起こしている様子もありません。

では、なぜ体重が増えないのでしょうか。
普通に考えれば、食べて、運動を止めて休んで過ごしていれば、
体重は回復するでしょう。

それでも、回復しないなら、食事の吸収が悪いのかもしれません。
いずれにせよ、食事量をさらに増やすしかないと考えるところです。

治療者にもし、その人のダイヤモンドの心を見ようとする目があるなら、
見る視点が違います。

この患者さんの場合、どことなく覇気がなく、目が死んでいるように見えました。
そう感じられたのです。なぜ、目が死んでいるのだろう。

治療者の立場からすれば、まだまだ体重の回復が必要であるし、
このままの枠で、治療を続けるべきところです。
しかし、目は明らかに死んでいる。

きっと頭ではわかっているんだろうけれど、
心が何かに行き詰まり、治療の目標を見失っているんだろう。
行き詰っているのは、行動制限をかけられて、
病棟という同じ環境の中にいるせいかもしれない。 では、どうしよう。

マニュアル的には、まだまだ行動制限をかけた状態で、
病棟にいて治療を続けるのが いい。
しかし、もっと大事なのは、その行き詰った心をいかに解放し、
そのダイヤモンドの心が持つ主体性を引き出すかということ。

ならば、ここはマニュアルを超えて、思い切って外出を許可してみよう。
外出してもらって、適当な気分転換をしてもらおう。
そのように考えるわけです。

実際、外出をするようになると、それによってカロリー消耗が多くなったはずなの
に、次の週から体重が増え始めます。

そうです。 心が行き詰まり、精神的なストレスがあったために、
体重の回復が止まっていたのです。

食事の吸収力が下がったのか、あるいは、
頭の中でカロリーを消耗していたためか、 いずれかははっきりとしませんが、
いずれにせよ、精神的なストレスが原因だったのです。

それが、外出を許可され、適度な気分転換をすることが出来るようになったことで、
精神的ストレスが解放されたのです。

さらには、治っていこうとするダイヤモンドの心の持つ主体性が引き出され、
治療はさらに順調に経過するようになったのです。

様々な治療において、治療マニュアルというものは非常に有効です。

しかし、そのマニュアルの生かし方を知らなければ、その効果は半減します。

治療マニュアルを真に生かすための極意は、
ダイヤモンドの心を見つめる医療の実践 にあります。

マニュアルに即した治療を行いながらも、その人の目を見つめ、
その主体性が発揮されているかどうかを常に見続けることです。

そして、その目が輝いていないなら、
マニュアルを金科玉条のごとく、絶対視するのではなく、
常に今、行っている治療を再点検し、アレンジして使うことです。

それが、人を“もの”としてみるような治療ではなく、
それぞれの個性を見つめた生きた治療ではないかと思います。

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